術後退院まで・合併症

医師 森浦 滋明

手術後痛みが無いのはありがたかったですが,体中にチューブがたくさんで動くのが大変でした.縫合不全が起きなかったのは何よりですが,右上肢の麻痺,乳び胸,ドレン感染などの合併症をきたしました.ドレン感染からの縦隔炎の心配を抱え,少し無理やり,2週間で退院しました.

術後のチューブと疼痛

硬膜外ブロック

鎮痛剤の点滴と硬膜外ブロックで術直後の痛みは殆ど感じませんでした.硬膜外ブロックは脊髄すぐそばに細いチューブを入れて鎮痛剤を注入し痛みの経路を遮断します.麻酔に使用した麻薬が体に残っていたのも鎮痛効果があったようです.体に入っている管は右胸部,腹部と両側頸部にドレン(出血や種々の合併症のモニターおよび合併症の治療に使用する管)点滴2ルート,栄養剤投与のため空腸に入れたチューブ,背中に硬膜外ブロックのチューブ,尿道カテーテルなど多数の管が入った悲惨な状態で,寝返りをするのも難儀です.痛みはなかったのですが1時間ごとに目が覚め時計を眺めていたような記憶があります.術後3日くらいは眠いのに変な興奮感があり熟睡できない感じでした.4日目頃に空腸チューブから睡眠薬を投与してもらいぐっすり眠られました.気分がすごくスッキリして嬉しかったです.

右手の麻痺

病室からの眺め

手術の翌朝右手が痺れてほとんど感覚がなく動かすこともできないのに気が付きました.手術の体位は左下側臥位で右上肢を体の右前上方に引き上げたような形で行います.皮下脂肪が少ない体なので,何かで右上肢が圧迫され,正座で痺れた状態のようなのの酷いのが起きたと思いました.術直後から離床し体を動かした方が術後合併症が少ないことは今や常識です.たくさんのチューブと戦って立ち上がりましたが,右手が効かないので捕まることができなくて怖いのです.頑張って歩くつもりだったのですが,わずかしか歩かれなくて悔しい思いをしました.右手が使えなくなるのではとすごく心配しましたが,整形外科医が診察して下さり割と気楽な見通し.5日くらいで概ね回復しました.

右下肢の不全麻痺(坐骨神経麻痺?)

運動の不都合はほかにもありました.退院するころになって分かったのですが,右下肢の筋力が低下しており特に足の背屈力が著明に低下していました.いわゆる垂れ足に近く気持ちよく歩かれません.歩いて体力の回復をと思っても足の感じがが不快で歩きずらく元気が出なかったのです.手術までは気にならなかった職場と電車の駅の距離約1.5㎞がとても長くつらい歩行でした.回復するのに半年くらいかかりました.不全麻痺なので必ず戻るだろうとは思っていましたが,長い半年でした.腹腔鏡の手術では経度開脚して下腿を垂らす砕石位(出産の時の体位に近い)にすることが多く,大腿で下肢を支えるため坐骨神経障害が起きることがあります.しかし主治医に聞くと普通の仰臥位だったようで,痩せた体だとちょっとしたシーツやクッションのヨレの圧迫でも神経障害を来しうるのだろうと思いました

乳び胸

病室

術後4-5日たって胸腔に入っていた管(ドレーン)が白く濁ってきました.リンパ液の漏れで乳び胸と言います.下肢と腹部,腸からのリンパ液は上腹部でまとまって太いリンパ管すなわち胸管となって食道すぐ後ろを走行し左頸部で静脈に流入します.太い胸管は傷つけることはないとしても細い枝までは認識するのは困難です.細い血管は電気メスなどで切離しても血液の凝固成分で後から破綻することは少ないのですが,リンパ液は接着する成分が少なく手術終了時には漏れていなかったのが破綻して漏れてくることがあります.白く濁っているのは腸で吸収された脂肪が含まれているためで,経腸栄養によりリンパの流れが増加して悪化する可能性が高く,栄養剤の経腸投与は中止されました.

腕から栄養点滴(PICC)

PICC カテーテル先端が上大静脈(←)

乳び胸で栄養成分が失われるとともに経腸栄養ができなくなり,このままでは栄養不足が進行してしまいます.命綱を外されたようですごく不安になりました.そこで腕から心臓近くに達する点滴PICC(peripherally inserted central venous catheter)が登場します.上腕から点滴チューブを入れ,心臓のすぐ上,上大静脈まで先端を進めます(左図,赤矢印).普通の点滴では濃い栄養成分を投与すると浸透圧が高くて静脈炎をきたし,すぐに使用できなくなるのですが,太い血管だと多量の血流で薄まるので,濃度の高い点滴ができます.うまく挿入できて,とても安堵感を感じました.最初は栄養成分の少なめの点滴剤で慣らしてから濃い点滴に移行します.なかなかよくならない乳び胸の患者さんをを経験したこともあり心配しましたが,通常通り5日くらいで漏れは止まりました.

保清

保清という言葉は看護用語であまり聞いたことがないと思います.身体の清潔を保つことであり、全身浴、半身浴、シャワー浴、手浴、足浴、洗髪、清拭、陰部洗浄などが含まれます.陰部洗浄は業界用語でインセンと言われます.呼び名は知っていますが,多数の入院患者さんを診てきてもほとんど見ることはありません.ICUであまり動けないときにインセンを3度くらい受けました.石鹸をつけて洗いペットボトルの親戚のようなのでちゃんと流してくれ,上手なので感心しました.

清拭というのは体を熱いタオルで拭くことです.気持ちが良いありがたい時間でした.入院患者さんの回診で医師は訴えが無ければ背中やお尻を見たりすることは殆ど無いのですが,看護師さんの清拭で背中やお尻の病変が見つかり,有用な情報になったことは何度もあります.

ICUから病室に戻り体に点滴やチューブをつけたままシャワーを浴びていたような気がします.点滴の刺入部やドレン・チューブの刺入部は透明の薄い防水フィルムで貼り固定されているので,楽にシャワー浴ができるようになりました.メリットとしては透湿・防水のみでなく,刺入部の状態が観察しやすく,感染等の異常が早く発見できます.卒後仕事を始めて数年くらいでこのフィルムを知りました.当初輸入品しかなく随分高価だったような記憶ですが,今はあちこちに使われています.薬局にも売っていて自宅でも傷ややけどの処置に使っています.

経口摂取開始

術前から一番恐れていたのが縫合不全,すなわち食道と胃のつなぎ目(吻合部)が破綻することです.胃の血管を処理し,胃をトリミングして,長い距離狭い所を通過させて頸部に持ち上げます.元々の血管に動脈硬化や,血管のネットワークの不良があったりして,血液の流れが悪いこともあるし,血管や胃が圧迫されて血液が流れにくくなることもあると思います.そのため頸部食道と吻合する胃の先端は血行不良となることがあり,縫合不全の原因となります.術後ちゃんと話せるようになって,主治医への最初の質問は,吻合部の血行の良否です.胃の先端の血流はとても良好であったとの答えに随分安堵しました.

手術後7日目,経過が良好で発熱が無いことやCTで吻合部周辺にガスを認めないことで,縫合不全はないとの判断.術後の水分摂取,食事が許可されました.食道がんの術後や胃全摘の術後など食道がらみで,縫合不全がそれなりに起きる手術では,経口摂取可否の判断はレントゲン透視下に造影剤を使ってチェックするのが普通です.こんなに簡単に経口摂取が許可されて,なんとなく拍子抜けでしたが,入院中で最もうれしい日になりました.

術後咽頭の違和感があり動きが悪い感じではなから嚥下しにくそうです.誤嚥にも気を付けないといけないし,吻合部に負担をかけるのも怖いし,本当に恐る恐る飲み込む緊張の食事です.主食は薄い粥からだんだん濃くなってゆきますが半分も食べられません.白身魚の煮つけとか野菜の炊合せなど,なかなか上手に調理してありますが,料理上手の妻を持つ自称グルメには辛い.夕食を食べているといつも食道グループの医師3人くらいが回診に来ます.主菜の魚を半分くらい食べてあると結構食べているじゃないですかと言ってくれます.紫蘇ふりかけを粥にかけて半食で供される量の3分の1くらいを何とか食べる感じでした.

ドレン感染(膿胸・縦隔炎の疑い)

術後7-8日経過し胸腔ドレン刺入部が痛くなってきました.ドレン周囲にべっとり膿.創部だけだと思ったら胸腔や手術操作をした縦隔でも細菌が検出されました.外科手術で術後死亡の多数は感染症に起因するし,特に胸腔や縦隔の感染は全身への影響が大きく,生命にかかわる状態なので恐ろしかったです.しかし発熱や悪寒がないのは感染が酷くないことを意味するので救いでした.また幸い起炎菌は抗生物質が効きやすいタイプ(MSSA)で,古いタイプの抗生物質の投与で治癒可能と思われました.

現在このような感染症は通常量より多い量で一気に治療するようになっています.治療は抗生剤の点滴投与で薬は直接腸管内に達していないはずなのに,便がまったく無臭になりよく効いている感じがしました.しかし悪心が強くなり体調が悪くなりました.点滴5日に加え内服を何日もという指示だったのですが,体が壊れそうで危機感を感じ1週間くらいの治療で中止してもらいました.

退院と不安

ドレーンから感染しましたが発熱は無く抗生物質を中止し体調は上向きになってきましたた.何も合併症が無ければ術後14日に退院するつもりでいたし主治医とも概ねそのような合意がありました.しかし感染が完全に収束した血液データはなく,感染症専門医はもう少し入院で様子を見ようと言います.それでも早く退院したい.入院していてももう抗生剤はうんざりで,様子を見るだけなら自宅で,と退院することにしました.

まず食事が十分とれそうになくて不安,友人の胸部外科医に病室から相談しました.自宅近くで元同僚が開業していて点滴の対応をしてくれるとの連絡.アミノ酸入りの点滴薬を取り寄せていただき一日1000mLの点滴を10日くらい受けることにしました.しかし何より心配なのは胸腔~縦隔の感染再燃です.学生時代に基礎講座の教授が臨床の話をすることはまれなのですが,組織学の教授は余程重症例を経験されたのか縦隔炎の怖さを話され,それが強く印象に残っています.発熱や悪寒があったわけではなくドレンから細菌が検出されても感染は成立していなかったのだろう,などと考えながらも心配な毎日でした.一日3回以上の体温測定を10日くらい続けるもずっと37℃を超えず,やっと安心できホッとした感じになりました.

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